ご案内
子どもに母乳をやれないとか、髪の毛を失ってまで生きたくはない」と血相を変えたらしい。
二十代の若さで乳房を失い、抗がん剤治療で髪の毛を失うという、女性の性を否定されるような不条理を受け入れることができなかったとも推察される。
Yさんは、頑迷と思われるほどに自らの真意、動機をほとんど明らかにせずに逝ってしまったけれど、死に顔は意外に安らかで、がん末期の精神面の苦痛はかなり軽減されていたのではなかろうか。
自然に逆らわない死に方を「選択」し、その人らしく生き様をまっとうしたからではないのだろうかとの指摘もある。
彼女はみずみずしい乳房、艶やかな黒髪を守ろうとして治療を犠牲にしたと受けとめられているが、彼女が本当に守ろうとした心の支えとはいったい何であったのだろうか。
がん患者ががんとの共存という生き方を肯定できるか否かは、ひとえに自らのそれなりの「生と死」に納得できるかどうかにかかっているであろう。
私たち医師は「いのちより大切なものはない」という前提をほとんど疑うことはしない。
だが、患者にとっては医学的な死を超えて「社会的な死」耐え難いと思わせる場合もある。
「いのちより大切な尊厳」に殉じた彼女の「選択」とは言えないだろうか。
額田勲先生ここまで付き合わなくても良いのにと思いつつ、東と西で同じ思いを共有しながら励ましあえるのは、少しばかり心強い思いもします。
がんと診断されたときの何とも言えない気持ちを察します。
特に先生の場合は、病院経営の問題がありますので、私以上に大変な面もあろうと思います。
この一ヶ月は短いながら、様々なことを決断して進む質の高い一ヶ月でした。
全てが整理できたわけではありませんが、死の受容は先延ばしにし、今は可能性がある限り、チャレンジし楽しい生活に復帰することを目指すのみです。
あきらめはロの宮の邑目につながり、自己も周囲も暗くなり、結局は病に敗北すると思います。
昔から、「病は気から」と語りつがれていますが、この常識が自然治癒力、免疫力といった科学的過程で解明されつつある時代と考えます。
今度の手術は前回と比較にならない厳しさがあり、私の頑張りが必要です。
これまで、様々な試練を乗り越えてきた自分と周囲の励ましと期待を信じてがんばります。
お互い、まずは手術の目的が成功し、その後のがんやその他の闘いで語り合える日を楽しみにしています。
六月一日第6章がんと「共存」するくれた記憶は三○年を経た今も鮮やかである。
道内の過疎地の診療所から何時間もかかって駆けつけてくれた医師たちも含めて、北の国のおよそ七○人と私たち南国の一六名の医師合わせて一○○名近くが、北海盆唄、鹿児島おはら節でエールを交換しあう様は、まさに変革期といわれた七○年代ならではの壮観さであった。
その後私の身辺にも軒余曲折があってしばらく音信は途絶えたが、脳死問題をきっかけにまた交流は再開された。
私はM先生の知遇を得て、東京、熱海などで脳死問題について何度か講演の機会を与えられたりした。
今回、術後のM先生を自宅に訪ねて初めて、私よりはるかに重症度の高い食道がんの発病から治療に至る顛末を知ることになった。
八年前に耳下腺がんに催患した際、放射線療法で許容線量一杯を照射してしまって、今回は外科手術が唯一の選択肢だったというが、気脈通じる大学同門の専門病院を選択、恵まれた闘病の条件を確保したとの話であった。
最も難度の高いとされる食道がんにもかかわらずなんと手術時間は私より短く、リンパ節生検も転移は一箇所のみに限定されて、病変は大動脈にかかっていないので一○年の生存が見込まれる等々、終始、がん戦争のさまざまの戦果を朗らかに聞くことができた。
なによりも自覚症状の出現から手術に至るまで自らのイニシアチブによる果敢な治療であり、一般の患者ならこうはいかないと、がんを知り尽くしたような外科医の決断に感嘆の言葉の他なかった。
1M先生が深夜に突然、興奮して起き出し、錯乱して救急病院へ運ばれて大量の鎮静剤投与を受けるなど、日常的な精神不穏に見舞われている。
再建された食道では経口摂取にまだまだ限界があるので補助的な栄養ルートが取り付けられているが、そのチューブを自ら引き抜いた。
ともあれ私たち二人はビールで乾杯、相互の生還を喜びあった。
術後日の浅い患者同士がアルコールとは不謹慎と思われるかもしれないが、それなりの理由があった。
彼の受けた手術というのは胸部食道のがんを取り除くため、開胸、開腹を行った上で頚部食道と胃を引っぱりあって吻合して、胸骨と皮層の狭い空間に新たに食道を再建するものである。
自然、お茶とか水は空気嘘下を伴うので飲みづらいが、その点ビールは嘩下がスムーズだと友は豪快に笑い飛ばしていた。
訪問の日は夏の暑い盛りということもあって、「秋風の吹く頃には本調子が期待できますね」と、ゴルフの再戦なども話題にしたが、なんといっても生への執念、迫力が私とは比較にならないと精神的に鼓舞される思いであった。
私は予定よりずいぶんと長居をした点をわびて、心底からほのぼのとした気分でM先生宅を辞した。
私は信濃路に向かって軽井沢の峠を下って行く途次に、「これが旅路の終わりか」との思いを噛み締めつつこの地を往来したであろう、あの夏のN川先生の像に思いをはせようとした。
死出の旅路、軽井沢にたたずむN川先生の病身に想像をめぐらせずにはおれなかった。
ここ数年、私はなにか厳しい宿題を背負ったように絶えずそのことを意識してきた。
だが残念なことにこの時点では思い入れほど意識は深まらず、感傷は時とともに移ろいいくものと考えざるを得なかった。
それから二年少し経って、私は東京での所用を終えると、なにか惹きつけられるように軽井沢に足を運んだ。
千曲川沿いの上山田温泉にまで歩を伸ばした。
その二週間ほど前、がん手術後の経過観察中に、外来受診に際して「今回は腫傷マーカーのPSAが上昇してきています。
このまま上昇傾向が続くようであれば追加の放射線治療を」と、主治医のK医師より再発への心がまえを促された。
その日、受診後も私はなお外来
の片隅で、すっかり人気がなくなるまで漫然と患者群の動態に目をやりながら、持ち合わせの雑記帳にいくつかの思いを綴って心の整理に努めた。
それからなお数日ばかり自身の生と死について考えこんだが、なんとか少しおぼろに見えてきたものがあるようでもあった。
それで自分の意識はどのように変遷をとげているか確かめたくて、軽井沢を経て信濃路へ入る上越新幹線沿いのルートに思索の旅を求めたのである。
その年の夏、私はがんの手術が不可避とわかって多くのことを断念しなければならなくなった。
その一つとして主催する予定だったシンポジウムを中止、予約していた国際会議場、参加を確約してくれていた評論家の柳田邦男さんや他の大学教授などの一切をキャンセルした。
後日談の部類だが、シンポジストに予定していた、私よりも若いA教授がほぼ一年後に胃がんのため鬼籍に入られたのも因縁めく話であった。
研究会創立の二○年前には考えられないような身辺の出来事が次々と話題になるのは、N川先生ががんに催患したように、私自身、がん年齢に達したという素朴で確かな事実に他ならない。
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